弁護士ノート
東日本大震災・東京電力福島第一原子力発電所事故10年
震災後10年という期間が経過しようとしています。10年で,何かが劇的に変わることはありません。復興はゆっくりとしたスピードで進み,被害は別の形で多方面に広がり,継続していますが,10年という節目に,振り返ることは意味があるのかもしれません。
当初は,何をしたら良いのか全く分からず,無力感を覚えてばかりでした。ただ,あの状況を体験した者として,「偶々生き残った者として,責任を果たさなければならない。」という気持ちだけは持たざるを得ませんでした。手探り状態で,避難所となっていた体育館などを訪問し,法律相談ボランティアなどを行っていました。相談の多くは,弁護士だけでは解決できない相談が多かったのは事実です。
すぐに縦割り相談ではなく,日頃から(災害発生時前から)の士業の繋がりとか,市役所との連携とか,各ボランティアとの連携のように,顔の見える関係の構築が大切なことが分かりました。 避難所の相談では,被災者に有用な情報が記載されたビラを持って行き,そっと側に腰を下ろして聞くというスタイルを取りました。話し相手になり,今困っていることを聴き,多少なりとも安堵の表情が浮かぶのが救いでした。
このような活動の間に,徐々にですが,「実は,被災者の気持ちを代弁し,それを発信できる人は,思ったほどいないのではないか・・・」「この声を集め,立法提言などに繋げていけるのは,弁護士なのではないか・・・」と感じるようになりました。
その後,被災地を支援したいという多数の弁護士(1500人以上はいたと思います。)の前で「被災地救済の立法提言に繋がる活動に力を貸してほしい」と泣きながら訴えたところ,全国各地の弁護士による福島支援の流れに繋がりました。また,原子力賠償紛争審査会では,当時,自主避難者まで賠償をすべきか否か自体が議論になっており,当初の中間指針では賠償は見送られていましたが,同審査会に出席し,発言する機会を頂きました。この意見表明をしたことが功を奏したのかは分かりませんが,若干の金額ですが,自主避難等対象区域への賠償も進みました(母集団が多いので,1人1には若干でも自主避難等対象区域の賠償金は3600億円以上になります。)。 (原子力損害賠償紛争審査会(第15回)議事録) https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11293659/www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/gijiroku/1313194.htm
しかし,10年を経過しても,賠償問題だけでも課題も山積です。 原発事故による被害は,単に個人や法人の損害の積み上げ方式で算定できるような被害に留まらず,地域全体に及ぶ被害(地域コミュニティ喪失や商圏喪失,住民の軋轢・分断など),被害回復ができない不可逆的損害(汚染水問題,山林汚染など)をもたらし,人の行動の自由を制限してきましたが,これらの被害は容易に賠償の対象にはなりません。
賠償の手続面から見ても,原発事故が司法過疎地で生じたという側面は考慮されることなく,原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)の手続では,個別申立が原則とされ,集団申立による共通損害の主張・立証の道が閉ざされてしまっています。裁判もあまりに時間とコストが掛かりすぎています。その結果,自ら権利行使をすることが困難な高齢者を中心に,闘う意欲を無くし,事実上の泣き寝入りを余儀なくされている実態があります。
このように課題が未解決の問題が多々あるにも関わらず,国や東電は,一致協力し,原発事故後10年で賠償問題を終わらせようしているとしか思えません。中間指針の改定やその前提調査を行おうとしないことや,東電が特に波及効果の高い事案においてADRの和解案を尊重せず和解案を拒絶したり,国が原賠時効特例法の10年の消滅時効期間を再延長しようとしないなどの態度にその片鱗が見えます。
弁護士ができることは,日頃の被災者向けの相談の中で,不合理さや理不尽さに出会った場合,それを「困難」として放置することなく,司法を通じて是正し,世間に訴えることであると思います。これからも,全国の仲間の力を借りながら,被災地の活動で感じたことを積極的に表明していきたいと思います。それが,災害大国日本において,次の災害への備えと教訓となることを信じて。 (渡辺淑彦)